2004年06月02日10時22分26秒
シャーマン・フント [ 10分で読めるもの ]
フントは神と英雄の時代からつづくシャーマンの末裔であり、一族の長として何百代と引き継がれた名前であり、代替わりを繰り返しながら何千年を生き続けた一つの生物であり、精霊を見、精霊と話し、精霊を懲らしめ、精霊の影に怯える者である。
「まだおわらないの?」目の前に座ったガオレンガンガは長い舌で紅茶パフェを掬いながら聞く。ガオレンガンガはバリ島の聖獣バロンにそっくりな巨大な顔に粘土のようなひょろひょろの手足が生えている精霊だ。
「おわらない。というか永久におわらない気がする」フントはレポート用紙を閉じた。軽く伸びをしてコーヒーを啜る。レポートの提出期限は十六時だ。いま十四時だから、まあ間に合わない。一個くらい落としてもいいや。フントがそう腹を決めたことで大学の後期試験は全科目終了した。二週間ほど半缶詰状態だったせいかちょっとした開放感を感じる。
周りを見回す余裕が出てきてふとファミレスの店内を忙しく動き回るウェイトレスに目をとめた。ウェイトレスはおばさんで苦労がおもいきり皺に出ていたがそれ以上に顔が土気色になるほど今現在疲れてるようだった。首の後ろにピスキュイがしがみ付いていた。ピスキュイは子猿のような精霊で人の集まるところにはどこにでも居る。なにか精神的に弱ってる人にしがみ付くのが好きでこいつにしがみ付かれた人は余計に精神がまいってしまう。フントはウェイトレスが横を通り過ぎる時ひょいと手をのばしてピスキュイを取ってやった。捕まってまさに猿のようにキーキー鳴いてるピスキュイをガオレンガンガのほうに投げるとガオレンガンガは長い舌でピスキュイを巻き取って食べてしまった。ピスキュイのキーキーという鳴き声はガオレンガンガの口中に飲み込まれ消えた。
「慈善事業なんてつまらないよ」ガオレンガンガは急に首が軽くなって不思議そうにしてるウェイトレスを横目で見ながら言った「どうせあの人、またとり憑かれるし」
「ん、まあ。いまは気分がいいことだし」フントはガオレンガンガのでかい顔を見つめながら煙草に火をつけた。ガオレンガンガは何千年も代々のフントに仕え、相談役となり、一番の友人であり続けた。今の代のフントである自分より何百倍も長く人間社会を見てきているから擦れてるし時には非常にシニカルだ。ガオレンガンガもピスキュイも他の人には見えない。だから端から見ると自分は一人で誰もいない紅茶パフェだけが置かれている向かいにむけててぶつぶつ独り言を言ってる危ない人に映るだろう。
フントは急に気恥ずかしくなり煙草をもみ消して席を立った。
「あ、いくの?」ガオレンガンガも急いでパフェの器を長い舌で持ち上げ残りを洞穴のような大きな口に流し込んで席を立つ。フントが振り返るとパフェは全然食べられていない状態のままでテーブルに置かれている。まあ仏壇にお供えをしてるようなものだ。
レジで勘定を済ませているとき、店内をうろうろしていたピスキュイの一匹が例のウェイトレスに小走りに近寄っていくのが見えた。
店を出ると午後の陽光が暖かく重いダッフルコートが不要にかんじるほどだった。金曜というせいもあるがやはり陽気に誘われたのだろう、久屋大通はパルコから三越までにかけてたくさんの人が蟻の行進のように行ったり来たりしててぶつからないように歩くのも大変だ。通行人が体をすり抜けてしまうガオレンガンガがちょっと羨ましい。これも陽気のせいだろう、道を往く通行人の頭上すれすれの中空にフルラフルラがいくつも浮かんでいる。フルラフルラは雲のように形を変えながらのんびりと浮かんでいる精霊で、半透明で体の内部が透けて見えてる点で海月やアメーバにそっくりだ。ときどき体の一部を伸ばして通行人にとり憑いてるピスキュイを捕食している。ピスキュイは人にとり憑くのが大好きでフルラフルラはピスキュイが大好物だ。結果、街中では足元をピスキュイが走り回り、それを狙ってフルラフルラが頭上にぷかぷか浮かんでいることになる。フルラフルラは中空二メートルから一メートルの間しか上下できないから足元をちょこちょこしてるピスキュイは捕食できない。だから通行人の首にとり憑いたピスキュイを狙うことになる。
「そうして彼らは意図せずに都会のストレスの掃除人になってるんだな」フントはフルラフルラの半透明の体内で半分溶けかかってるピスキュイを見ながら呟いた。どうもガオレンガンガと普段話していると独り言を漏らすことに恥を抱かなくなっていけない。
「清汰さん」
いきなり背後から呼びかけられ振り向いた。
七十くらいの老婦人が喜びに目を輝かせて立っていた。知らない顔だ。そもそも自分の世俗での通り名は清汰ではない。
「ああ、やっぱり清汰さんだ。こんな所でお会いできるなんて。あら、お顔の大きい方もまだご一緒なんですね」
老婦人はガオレンガンガを見留めて懐かしそうに言った。驚くべきことに老婦人にはガオレンガンガが見えるらしい。老婦人はチェック柄のミニのタイトスカートを履いていて、フントはミニの似合うおばあさんも居るんだなあ、と思った。
「清汰って?」フントは傍らのガオレンガンガに耳打ちした。
「二代前のフント。お前のお祖父さんだよ」
フントは頭の中の記憶箪笥から『清汰』の引き出しを探した。よく『頭のタンスから記憶を引っぱり出す』という表現があるが、フントの頭の中にはもっと明確に具体的なイメージで記憶の箪笥がある。白木でできた物で何百という引き出しがあり、引き出しの一つ一つに過去の代のフント達各々の記憶が収められている。白木の箪笥は何千年も代々のフントに受け継がれ、引き継がれるたびに一つづつ引き出しは増えていった。過去のフント達の知恵を後世に伝えるために。
フントは『清汰』の引き出しを引っぱり出し、図書館の目録カードのように文書化された記憶をぱらぱらと捲った。一枚の目録カードに目を留めた。
『二十六歳(一九四九年) OO村北村方長女秦恵にローレンクケイカ憑き、此れを祓う』
記憶の目録カードを読んでいると過去のイメージが浮かび上がる。祖父の記憶の中の秦恵という若い娘の顔に皺と白髪を加えると確かに目の前の老婦人と重なる。
「秦恵さん?」フントが問いかけると老婦人は嬉しそうに微笑んだ。その目には夢見るような色があった。
「フント、あれ」ガオレンガンガが老婦人の首の後ろを指差した。老婦人のうなじにイソギンチャクのような精霊がとり憑いていた。イソギンチャクは髯のような数百本の触手とは別に二本の人間の手のような長い触手を持っており、その二本の手で老婦人の頭をいじっていた。老婦人の頭はあたかも数百のブロックを積み上げたようにフントの目には映った。そしてイソギンチャクは二本の手でそのブロックをかちゃかちゃと不規則に積み直しているのだ。頭の下のほうのブロックを上のほうに、上のブロックを下のほうに。上の新しい記憶のブロックは下にしまいこまれ、下の旧い記憶のブロックは上に積み上げられてるようだ。
「マオライだよ。足のない奴だからめったに街中では見かけないんだけどね。人の住まないあばら家の床の間にたまに居たりする」ガオレンガンガは説明した「四代前の『常助』の記録に残ってるはずだよ」
「祓い方を教えてくれ」フントはあまり過去のフント達の記憶箪笥を探りたくなかった。普段は箪笥の引き出しの各々に眠っているフント達の記憶も、引っ張りだすときに自分が体感した経験として浮かび上がってくる。これは現在を生きる個人としてのフントに凄く影響する。過去のフントの記憶に引っ張りまわされ現在の自我の支柱を脅かされたこともある。よく前世について知りたがる人間がいるが、実は複数の人間の記憶が入り混じるというのは現在の自分すら見失いかねない危険な事態なのだ。
「フルラフルラに食わせればいいよ」やれやれ、と言った表情でガオレンガンガは言った「マオライは匂いを発しないからフルラフルラにその存在を気づかれない。けどフルラフルラには大好物なんだ」
フントは無造作に近くに浮かんでいたフルラフルラを掴んで老婦人のうなじに憑いてるイソギンチャク――マオライにあてがった。フルラフルラは触感でマオライの存在にようやく気づき、不定形の全身でマオライを包んで食事をはじめた。同時にフルラフルラはその体で老婦人の頭をすっぽりと包み、老婦人の頭のブロックを積み直し始めた。老婦人の目から意識の光が失われた。
「おい」フントは肘でガオレンガンガを突付いた。
「大丈夫。フルラフルラはごちゃごちゃに積み替えられた記憶のブロックを元に戻してるだけだ。なんでそんなことするのか知らないけど、整理整頓ができていないと嫌な性質なんじゃないかな」
フントは老婦人の頭のブロックを一生懸命積み直してるフルラフルラをしげしげと見た。「世の中、よくできてるよな」独り言ていると老婦人の頭を包んでるフルラフルラの一部が『にゅ』と伸びてフントの頭をすっぽりと包んでしまった。フントの意識は暗転し、闇に包まれた。
「清汰さん」奥座敷に敷かれた布団から半身を起こして秦恵が不安そうな表情でフントを見つめた。秦恵は今年十八になったばかりだが、寝床から起き上がれないほど衰弱していた。町方から来た医師にも原因は不明だが、フントには一目瞭然だった。秦恵の腰から足元にかけてローレンクケイカが巻き付いている。ローレンクケイカはいやらしい獣の毛を全身から生やした蚯蚓のような精霊だ。命の息吹溢れる若い生気に誘われ、其れにとり憑き、巻き付き、其れの生気を吸い取る。
「大丈夫」フントは優しく秦恵に言って、懐から小瓶を取り出し振ってみせた。小瓶の中身は今年の春に摂れたよもぎの茎の絞り汁だった。フントが小瓶の中身を少し畳に注ぐと、ローレンクケイカはよもぎの匂いに誘われ、秦恵の体の束縛を解いて畳に染み込んだよもぎ汁の匂いをふんふんと嗅いでいる。
「じゃあ、頼むよ」フントは傍らのガオレンガンガに小瓶を渡した。ガオレンガンガは点々と小瓶のよもぎ汁を垂らしながらローレンクケイカを誘い、ローレンクケイカは匂いに釣られてやがて座敷から出て行った。ガオレンガンガには裏のお山まで誘い出すように言ってある。お山まで行けば今は生命の息吹溢れる五月だ。そこ此処にある樹木なり小動物なりにローレンクケイカは勝手に巻き付くことだろう。
急に軽くなった足腰に秦恵は不思議そうな表情をした。「あの蚯蚓が居なくなったから気分がいいのかしら?」秦恵は聞いた。秦恵は生まれつき精霊を見、精霊を誘う性質だった。別にフントでなくともそういう類の人間は時折いる。
「ええ。もう追い払ったから大丈夫ですよ」
「じゃあ、さっきの大きいお顔の人にもお礼を言わなくちゃ」秦恵は無邪気に微笑んだ。
フントはしばらく秦恵の屋敷に滞在することになった。秦恵が『よりまし』の性質を持つことが明らかになったため、言わば「悪い虫が憑かないように」警護するためだ。とは言え普段ローレンクケイカの様な大物に憑かれるような心配はまず、ない。フントは村でも有数の地主である秦恵の家の邸内で日がな過ごすことになった。時折、秦恵がせがんで屋敷の外に出るのに付き従った。舗装のない田舎道を秦恵と並んで歩く。田畑はどこまでも広がり、田畑の果てににょきりと生えるお山にはくだんのローレンクケイカがきっと樹木に巻きついてることだろう。
「清汰さんのお父様とお母様はどうなさってるの?」秦恵が聞いた。
「ええ。父はもう死にました。母はどこやらで生きてるかもしれませんがよく知れません」
秦恵は眉を曇らせて「ごめんなさい」と言った。フントは笑って「気をお使いにならないでください。私自身が気にしてないことですから」と秦恵を慰めた。
フントの家系では一子相伝で過去の代のフントの記憶箪笥が引き継がれる。次代を次ぐフントが母の胎内に宿るとき当代のフントから胎内のフントに記憶箪笥が引き継がれるが、同時に当代のフントの記憶の引き出しも新たに作られ、其処に当代のフントの記憶が次々と入れられていく。当代のフントは妻の胎内の我が子が育っていく過程で記憶がどんどん失われる。記憶は我が子の頭の中にある記憶箪笥に次々と移管され、我が子が胎内で大きくなっていく毎に当代のフントは記憶を失い、やがて我が子の誕生と同時に旧いフントは記憶のすべてを我が子に譲り渡し、役目を終えて赤子同然となる。このような生態を持つフントに嫁ぐものなどめったにいるはずもなく、フントの一族は世継ぎを産むために金銭に困った家の娘の腹を借りることがしばしばだった。清汰の母もその腹をフントの一族に金で買われ、いまはどこに居るかも知れない。清汰の父は二二才で清汰をもうけたが、赤子に戻った二二才が生きていくというのは存外大変なようで二五歳で他界した。
「清汰さん」秦恵がお山のほうを指差した。沈む太陽が最後に足掻いて空を茜色に染めている。フントは夕日を見るたびにいつも足掻いてるように見える。
「お山も名残惜しそうにしてるわ」夕焼けに染まったお山を眺めながら秦恵は言った。
「名残惜しい?」フントは意外に思って聞き返した。
「だって今日ある世界は明日とは違うじゃないですか。今日ある世界が終わるのはやっぱり名残惜しいですよ」
「そうかもしれませんね」フントは秦恵と肩を並べていつまでも茜空を眺めていた。
しばらくしてフントの従姉妹にあたる者がフントが注文していた物を届けてくれた。鹿の皮袋に入った其れは白い牡丹の一輪に見えるが、実のところ精霊の一種だった。ソライヌスというその精霊は花のように鮮烈な匂いを発し、他の精霊の鼻を惑わし、目を惑わす。
奥座敷でフントはソライヌスを手に秦恵と向かい合った。
「これでお別れです。願わくばこの花が貴女に生涯の安楽を遣わしますように」
「お別れ? それって……?」席を立とうとした秦恵の髪にフントはソライヌスを挿した。ソライヌスは茎に見える触手を伸ばして秦恵の頭皮に根付き、秦恵の瞳の色は黒から灰色に変わりやがてまた黒に戻った。
「貴方は……?」見知らぬ男を目の前にして秦恵は怪訝な顔を浮かべた。
「お父上の知り合いです。お嬢さんがご病気と聞いてお見舞いに伺ったのですが、随分良いようですね」
「え……あ、はい」秦恵は状況が掴めず混乱していたが、それには関わらずフントは席を立った。
「では私はこれで失礼します」ソライヌスの香りは他の精霊の目と鼻を惑わすと同時に宿主の精霊と関わった記憶も奪い去る。関わった時に出会った人間の記憶も、すべて。
フントが立ち去ろうとしたとき轟と座敷の半開きの襖から風が巻き起こった。風はすべてを襖の闇に吸い込むように巻き起こり、床の間の花瓶も掛け軸も仏壇も秦恵もいや座敷そのものが襖の闇に吸い込まれた。フントも襖の闇に吸い込まれ、暗闇の中に意識が飲み込まれる瞬間懐の鹿の皮袋を強く握った。
「フント」意識を取り戻したフントの目の前にガオレンガンガのでかい顔があった。
「どのくらい眠ってた?」朦朧とする頭を振りながらフントは聞く。
「十秒……十五秒かな。フルラフルラがいきなりとり憑いたんでびっくりしたよ」
「僕の、いや祖父さんの記憶を組み立て図代わりにしたんだ」とり憑かれたフント自身にはフルラフルラの行動の意味がなんとなくわかった。上のほうの新しい記憶ブロックは鮮明だからどこに収めるべきかはたぶん容易にわかる。しかし古い地層の記憶ブロックは表面の色があせたパズルのピースのようでどう組んだらいいかわからなかったのだろう。だから手近に居たフントの記憶を覗いて参考にした。
秦恵の頭のブロックの組み直し作業もじきに終わりそうだ。やがて最後の一ピースを所定の場所に収めるとフルラフルラは秦恵の頭から離れて行った。半透明の体内におさまったマオライは半ば以上消化し尽くされほとんど原形をとどめていない。「いいやつだな」ふわふわと離れていくフルラフルラを眺めながらフントは感傷的に一人言ちた。
秦恵の目に意識の光が宿った。「あら……?」状況が掴めず周囲を見回す。何日か何年かは知らないが記憶がごちゃまぜの状態になっていたのを今正気に返ったのだ。
「こんにちは」フントは必要もないのに声をかけてしまった。声をかけずにおれなかった。やはり記憶の引き出しを開けるとどうしても引きずってしまう。
「あなた……」秦恵はフントを見留めて思わず口にでた「清汰さん……?」しかし正気を取り戻している秦恵は頭を振った。何十年も前の人ではないか。
「清汰は僕の祖父です」フントはそう言って懐から鹿の皮袋を取り出した。過去の記憶から持ち物を伴って帰って来るのははじめてだったが、どうやら上手くいったようだ。
「祖父が此れを貴女に、と」皮袋からソライヌスを取り出し秦恵の白くなった髪に挿した。秦恵は白い牡丹の花を一瞬懐かしそうに見たが、その瞳はすぐに灰色に変わりやがて黒色に戻り目の前のフントのこともガオレンガンガのことも清汰のことも忘れてしまった。
きょとんとしている秦恵にフントは黙って一礼しその場を離れた。去りながら一度だけ振り返ると太ったおばさんが秦恵に駆け寄ってきてるのが見えた。たぶん秦恵の娘か息子の嫁だろう。祖父の挿したソライヌスが枯れてしまったのか自身でどこかに移っていったのかは知らないが、少なくともさっき挿したソライヌスは彼女が死ぬくらいまでは保つだろう。
「慈善事業はつまらないよ」ぼやくガオレンガンガに、フントはやけに陽気な声で答えた「アフターサービスだよ」
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ごはんに投稿させていただいた二作目。今年の一月くらい?
ライトノベルを志向して書いたものですが、これも読点が少ない。読みにくいラノベ^^;
それにしてもこの頃のものは、冒頭からしてヘンだなあ
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