2005年09月17日18時07分16秒
『魚沼』 [ 5秒で読もうと思えばできなくもないもの ]
魚沼で彼女が消息を絶ったと聞き、現地に向かった。彼女と言うのは大叔母にもらった市松人形のことであり、大叔母は私の友人に娘が生まれたお祝いにあげなさいとくれたのだが存外に愛らしいので私がもらうことにしたものだった。
彼女は私が毎晩話しかけていると、もらわれて15日目に微笑むようになり、41日目にかたことの言葉を話すようになり、61日目に吐息をもらすようになって、100日を1日待たず消息を絶った。
彼女を喪失した悲しみで私がうろうろとご近所を徘徊していると、顔見知りの野良の黒猫が「あの子は魚沼に行ったよ。なにしろ米どころだからね」と教えてくれた。米どころがなんの関係があるのかわからないが、私は藁にすがる心もちで魚沼行きの列車に乗った。散歩中のことであったので、つっかけ履きで、きっと魚沼は寒いのだろうと思いながら、しかしこれは『試し』なのかもしれないとおもった。
駅に降り立つと案の定、空は曇天で小雪がちらちらとしていた。近くのドラッグストアで「浅黄の着物を着た少女人形を知りませんか」と聞いてみると、太ったおばさんの店員は「あの子なら鳥ケ首岬の灯台に行きましたよ。あんたを待ってるって」と教えてくれた。おばさんは方言がひどくて随分と聞き取りにくかったが、たしかにそう言ったように思えた。
バスと列車を乗り継ぎ鳥ケ首岬に辿り着くと、崖下にみえる海は北海の荒波が大渦小渦とさかまいていて、彼女はここで投身したのではないかと腹の底が冷え切った。
「――!」かもめの飛ぶ荒海に彼女の名を呼ぶ声はかき消されてしまう。そもそも彼女の名はなんというのか、なんと呼んでいたのか忘れてしまったが、腹の底から搾り出された名なのだから、きっと彼女のほんとうの名だろう。私が彼女のほんとうの名を、ほんとうの名だけを呼び続けていると、ほんとうの彼女が、渦巻く荒海からピアノ線で吊られるようにするすると現れた。
海水にぐっしょりと濡れた浅黄の着物を着て、黒いおかっぱの髪を潮風がなぶるにまかせながら、彼女は聞く。
「あたしはとてもやりきれなくって、やりきれないから、白いごはんを食べに来たよ。白くてほかほかで、お米の一粒一粒が光って立ってるんだ。お米には七人の神様がいるんだってね。あたしは二千粒以上お米をここで食べたから、にひち十四万人の神様がおなかのなかにいるよね。あんたの神様は何人?」
私は考えたが、私がこれまで食べたお米には神様は一人もいなかったとおもった。お米のヘリにも、ねばねばした食感にも神を感じたことはない。私が感じたのは、むしろ……
「私の神様は、あんた一人」
灰色の北海に私は呟いた。
彼女はにやにやと笑いながら「へぇ」と呟き、じゃあ何で食べないのよ、はやく食べておしまいなさい、となにか悪魔のように囁いた。
食べる。
そう、食べなくてはならないのかもしれない。愛するということは食べることなんだ。身の内の一部とすることが愛することの最上最終形態なのだ。彼女を食べなくては、食べるんだ。
すうっと胸筋を膨らませて息を吸い込むと、私の吸気は風を巻き起こし、ブラックホールのように周囲のものを吸い込み始めた。冬の枯れ木にわずかに残る葉が、枝から枝へ冬の食糧を運んでいたリスが、どんよりと空に腰をすえていた灰色雲が、私のほうに吸引され、私の口中に吸い込まれていく。荒海の空にプカプカと浮かんでいた彼女も、巻き起こり集中する風に巻かれ、くるくると反転しながら私の口元に吸い付けられ、私はしゅぽっと飲み込んだ。
ガリガリと桐の粉を固めた肌を齧る。人毛の髪は少し喉に引っかかる。喉に髪がひっかかり、私は少しえずいて泪目になる。
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