2006年06月19日02時45分02秒
三語 [ 5秒で読もうと思えばできなくもないもの ]
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久々に三語書きました。長い
シロウはいつも空ばかり仰いでいる変な子供だった。体育の時間にグラウンドをマラソンしているときも、学校の帰り道も、いつも歩きながら空を見上げていたので、よく他人や電柱にぶつかった。
「また上ばっかり見て。なにがそんなに楽しいのよ」
帰り道、相変わらず郵便ポストにぶつかって顔をしたたかに打ち付けたシロウに、ユミコが聞いた。
「……楽しいよ。おかきみたいな形の雲が、ゆっくりと動いていくのも楽しいし、雲ひとつもない真っ青な空も、吸い込まれそうですごく気分がいいんだ」
鼻を強打して涙目になったシロウは、ユミコに助け起こされながら答えた。
「それにね、ぼくは上の世界にいきたいんだ。知ってる? 雲よりも高いとこには、ちがう生き物たちが自由に空を飛びまわってる世界があるんだよ。嘘じゃない、ぼくは見たんだもの。大昔のトンボや、ねじれた角が頭から生えたピューマや、蝶の羽の生えたイノシシや、目つきの悪い髪の蒼い女の人や、そんなのが飛び回ってるのを見た。すごく真っ青で、青色が煮詰まったみたいな空のときさ」
ユミコはシロウの空想にとりあわなかった。シロウは昔から空想癖があった。いつもぼーっと空を見てるし、時々変な言動をするから、クラスでは苛められているらしい。別のクラスにいるユミコはそのあたりを噂で聞いてるだけだけど、さもありなんと思った。けれど、下校時間に待ち合わせて帰るとき、シロウはそんな様子は全然なくて平気な顔で、ほんと雲の上の人みたいだ。
「いい? あんたは上ばっかり見てるから、頭に血が上りやすいの。だからヘンな幻覚もみるの。まっすぐ前を見て歩きなさい」
大人っぽくユミコが注意してもどこ吹く風、シロウはまた空を仰いでふらふらと歩きながら、
「イチロウ・ジロウ・サブロウ。だから四郎らしいんだけど、ぼくは違うと思うな。シロウは白のシロだよ」
ユミコはきょとんとした。シロウは一人っ子だ。幼馴染なんだから、そんなことはようく知ってる。
ある日の授業中、廊下をわあわあと叫びながら駆けていくシロウを、ユミコは見た。ユミコの教室のみんなは、先生も含めて呆気にとられていて、ユミコは反射的に体が動いてシロウのあとを追った。
なにか奇声をあげながら全力で校舎の階段を昇っていくシロウを、その背中を必死になってユミコは追い、屋上でようやく追いついた。屋上に出る扉をシロウが開けて、彼がそこで立ち止まったからだ。
「シロウ」声をかけたけど、シロウは空を見上げていた。つられてユミコも空を見上げた。見上げてハッとした。空は、まるで煮詰めたように青かった。今まで見たことのない、煮こごりみたいな青色に、白いふわふわとしたものたちが舞っていた。恐竜辞典に載ってた大昔のトンボ。ピューマに、ユニコーンみたいな角が生えていた。蝶の羽の生えたイノシシは、ユーモラスというか馬鹿みたいだ。目つきの悪い蒼い髪のお姉さんは、じとっとこっちを横目で見る。みんなくるくると、空を泳いでいる。
「ぼくは、お母さんにすごく愛されてるんだ」
ジロウは空を仰ぎながら言った。ユミコからは背中しか見えなかった。
「イチロウお兄ちゃんは、お母さんのお腹のなかで死んじゃった。ジロウお兄ちゃんは、生まれたけど生まれつきの病気で半年くらいで死んだんだって。サブロウお兄ちゃんは、元気で育ったんだけど2歳のときに事故で死んだんだよ。お母さんはね、ノイローゼみたくなっちゃって、そんなふうでぼくを生んだんだ。ぼくは、だからすごく愛されて育ったんだ。お母さんは少しおかしくなっちゃってるけど、ぼくが歩くだけでも心配して、ぼくがなにかしようとするとすごく心配して、ぼくはなんにも出来ないんだけど、でも愛されてるな、てわかる。けど、なんか愛って重いよね」
シロウは冗談のように、両手を鳥の真似をしてパタパタと羽ばたかせた。シロウの体は、冗談のようにふっと舞い上がり始めた。足元が宙を浮いている。そのまま、宙を舞っているトンボやピューマたちのほうへ、まっすぐ飛び立とうとしていた。
「だめ!」
ユミコは飛びかかってシロウの足にタックルした。浮き上がったシロウはユミコの自重に地面にたたきつけられる。
叩きつけられたシロウは地面にうつぶせになりながら、顔だけを足にしがみついたユミコのほうに捻じ曲げて「なんで」と聞いた。瞳に水っぽいものはないけれど、くしゃくしゃの顔だった。もっとくしゃくしゃになったユミコが、口もとに流れ込んでくる涙と鼻水を飲み込みながら、言った。
「わかんないよ。わかんないけど、私がイヤだから。私、すごい勝手だと思う。シロウのお母さんも勝手だと思うよ。勝手だけど、でも、空を見て、シロウがいるのを眺めるだけなのは、イヤなの」
シロウは両手をバタバタさせるをやめて、まじまじとユミコの顔を見た。くしゃくしゃになったユミコの顔と、ほうけたようなシロウの顔。二人はお互いの顔を見合わせて、それから二人とも空を仰いだ。群青を煮しめた空には、トンボやピューマやイノシシやお姉さんが、地上のよしなしは我関せずと舞っていた。


